東京23区東部
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【東京23区東部】東京都区部(とうきょうと・くぶ)は、東京都東部の23ある特別区から構成される地域です。東京23区とも呼ばれます。かつての東京市地域に該当します。現在は東京都の一部地域という位置づけであり、この地域を一体とした自治体は存在しません。東京都区部は、東京都東部の旧東京市地域に該当します。東京都区部の人口は、1920年(大正9年)に台東区が上野桜木、池之端をはじめ都心の高級住宅街として人口第1位の439,596人です。世田谷区は39,952人です。【東京23区東部】
【東京23区東部】1965年(昭和40年)に約884万人(国勢調査人口)で最大となった後、郊外化で減少に転じ、特にバブル景気に伴う地価の高騰によって1990年代には800万人を割り込みました。その後は都心回帰現象などにより、約872万人(2008年6月1日現在の推計人口)にまで反転増加し、東京都の人口の約67.7%を占めるに至っています。なお、昼間人口では、1980年代末のバブル景気期に約1129万人で最大となり、失われた10年の間は減少していたが、その後また増加してバブル期並みとなっています。【東京23区東部】
【東京23区東部】1889年(明治22年)には、この15区に市制が施行され、東京市となります。明治時代には、およそ明治通りの内側が東京市とされ、外側は南豊島郡渋谷村などの町村でした。このときの東京市は、現在の千代田区、中央区、港区、文京区、台東区の全域、および新宿区・墨田区・江東区の各一部を範囲としていた。1932年(昭和7年)、周辺82町村が編入され、面積・人口が一気に拡大しました。このとき、既存の15区に加えて、新たに20区が定められ、35区となりました。現在の東京都区部の区域は、このときの35区とほぼ重なります。1943年(昭和18年)には東京都制が施行されて東京府および東京市は廃止され、35区は東京都の行政区となりました。【東京23区東部】
【東京23区東部】都心の区は、主に中心業務地区に利用されているため、居住地が少なく人口も少ないです。また、地価が高いだけでなく、面積が狭いことも人口の少ない要因のひとつです。周辺の区ほど人口が多いが、面積最大の大田区より面積第2位の世田谷区の方が人口は多く、(大田区は羽田空港の沖合展開による埋め立ての結果世田谷区を抜き最大の区となりました)面積第4位の練馬区は人口第2位です。東京湾沿岸の区は、東京港港湾施設や広大な工場・流通地区を持つため、内陸の周辺区よりも人口密度が低いです。1878年(明治11年)、郡区町村編制法が制定され、宮城(皇居)周辺の都心部に、麹町区、神田区、日本橋区など15区が定められました。【東京23区東部】